スネーク制度
読み方: | すねーくせいど |
---|---|
英語: | Snake in the tunnel |
分類: | 通貨制度 |
スネーク制度は、「トンネルの中のヘビ」とも呼ばれ、1970年代に欧州共同体(EC)が導入した、加盟国の為替相場を相互に上下2.25%の変動範囲内で管理する為替制度をいいます。
ヨーロッパの最初の国際通貨協調の試みで、また当時の欧州各国通貨間の為替変動をある一定内に収めることを目的としたもので、ウェルナー報告書の提案(為替相場の変動減少のための協調)を具現化した措置でした。
目次:コンテンツ構成
スネーク制度の仕組み
スネーク制度は、欧州共同体(EC)の加盟国が相互の為替相場を上下2.25%に管理する仕組みである「スネーク」と、各国が対ドル相場を上下4.5%に管理する仕組みである「トンネル」から構成されていました。
また、本制度では、ECの加盟国間の為替相場の「為替平価」と上限・下限(介入点)を示す「平価の格子表(パリティグリッド表)」が作成されました。
※欧州共同体:European Community(EC)
スネーク制度の背景
1971年のニクソン・ショックの後、スミソニアン協定で各国が対ドル相場を上下2.25%以内に抑えることが合意されましたが、この変動幅ではECの加盟国間の為替変動が過剰に大きくなる可能性がありました(二つの通貨間で増価と減価が同時に起こると、最大9%の変動幅となった)。
このような状況に対して、ECの加盟国間で相互の為替相場を上下2.25%以内(スミソニアン協定で規定された対ドル上下2.25%の変動幅から導かれる上下4.5%よりも縮小)に抑えることで、過剰な為替変動を抑えるものとして「スネーク制度(Snake in the tunnel)」が考案されました。
スネーク制度の導入と崩壊
スネーク制度は、1970年代にヨーロッパで実施された、最初の単一の為替変動幅の試みでした。
●1972年4月にバーゼル協定が締結され、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの6カ国の間で「スネーク制度」が導入された(その後、イギリス、アイルランド、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーが参加した)。
●1973年に米国が完全な変動相場制に移行し、米ドルが完全に自由に変動するようになって、スネーク制度の中の「トンネル」は崩壊した。一方で、スネークについては、参加国間で「トンネル無しのスネーク」として継続されることになった。
●1976年の通貨危機後、スネークに残った国は、西ドイツ、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンのみで、事実上のドイツマルク圏となった(ドイツマルクを中心とした「ミニスネーク」と呼ばれ、安定的に推移した)。
●1978年にブリュッセル首脳会議において、「欧州通貨制度(EMS)」の創設が決定され、またEMSは、ウエルナー報告書で明示された「経済通貨同盟(EMU)」を最終的な目標とする安定通貨圏として1979年に発足した。なお、この制度下で、1981年に加盟国の通貨の加重平均を取った「欧州通貨単位(ECU)」を導入した。