エンロン事件

読み方: えんろんじけん
英語: Enron scandal、Enron bankruptcy
分類: 金融事件

エンロン事件は、「エンロン・ショック」とも呼ばれ、2001年10月に発覚した、アメリカ合衆国の多角的大企業であったエンロン社の不正会計事件(巨額の粉飾決算事件)のことをいいます。

総合エネルギー取引とITビジネスを行っていたエンロン社が、特別目的事業体(SPE)を使った簿外取引により、決算上の利益を水増し計上していたことが分かり、2001年12月に経営破綻に追い込まれ、世界の株式市場に大きな衝撃を与えたものです。

ここでは、米国史上、最大級の不祥事となった「エンロン事件」について、簡単にまとめてみました。

目次:コンテンツ構成

エンロン社とは

エンロン社(Enron Corporation)は、その昔、アメリカ合衆国のテキサス州ヒューストンに存在した、総合エネルギー取引とITビジネスを行っていた企業で、元々は1931年に発足したノーザン・ナチュラル・ガスに端を発します。

1980年代の終わり頃からデリバティブ取引を開始し、当時のレーガン政権によるエネルギー産業の規制緩和が追い風となり、1990年代に急成長し、2000年度の売上高は1,110億ドル(全米第7位)、2001年の社員数は21,000名という、全米でも有数の大企業となっていました。

エンロン社の経営破綻

エンロン社は、破綻前、全米でも有数の大企業として知られていましたが、2001年10月に長年の不正会計が発覚し、2001年12月に経営破綻しました。

エンロン社の成長と粉飾決算

エンロン社は、1990年代に会社が大きく成長する一方で、1980年代の終わり頃から粉飾決算に手を染めていました。また、1990年代にデリバティブを規制するために普及した時価主義会計を逆手にとり、見かけ上の利益を増大させていきました(1998年には、利益に占めるデリバティブ比率は8割を越えていた)。

この裏では、取引損失を連結決算対象外の子会社である特別目的事業体(SPE:Special Purpose Entity)に付け替えて簿外債務とすることも積極的に行われていました。

エンロン社の不正発覚の少し前

エンロン社では、不正会計が発覚する少し前の2001年夏頃に、インド・ダボール発電所やアズリックス(水道事業)など、海外での十億ドル単位の大規模事業の失敗等が明るみに出始め、株価も緩やかに下落を始めていました。

エンロン社の不正発覚と経営破綻

2001年10月17日にウォールストリート・ジャーナルがエンロン社の不正会計疑惑を報じたのを契機に、エンロン社の株価は急落しました。また、証券取引委員会(SEC)の調査も行われ、ついに巨額の不正経理・不正取引による粉飾決算が明るみに出て、2001年12月2日にエンロン社は、米連邦破産法第11条の適用を申請し、破綻しました。

エンロン社の負債総額と破綻規模

エンロン社の破綻時の負債総額は、所説ありますが、少なくとも310億ドル、簿外債務を含めると400億ドルを超えていたのではないかと言われています。また、2001年12月のエンロン社の破綻は、2002年7月のワールドコム(Worldcom)の破綻まで、米国史上最大の企業破綻でした。

エンロン社の破綻余波

当時、エンロン社は全米でも有数の大企業であり(2000年度は全米第7位の売上高があり)、その破綻によって、多くのステークホルダーが多額の損失を被りました。また、事件に深く関与していた大手監査法人のアーサー・アンダーセン(Arthur Andersen)も2002年に解散へと追い込まれました。

さらに、2002年には、エンロン社に続いて、Kマート(小売業、破綻)やグローバルクロッシング(海底ケーブル通信、破綻)、ウェイスト・マネジメント(大手廃棄物処理、存続)など、他の有力企業の不正会計が次々と明るみに出たことで、一企業の破綻にとどまらない異常事態へと発展しました。

そして、これらの事件を契機に、米国において、コーポレートガバナンスが強く問われることになり、2002年に企業の不祥事に対する厳しい罰則を盛り込んだ「サーベンス・オクスレー法(SOX法)」が制定されることになりました。

iFinancial TV