ITバブル崩壊
読み方: | あいてぃばぶるほうかい |
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分類: | バブル崩壊 |
ITバブル崩壊は、2000年代初頭に起こった、米国のITバブルが崩壊し、景気が急速に後退した一連の出来事をいいます。
1999年から2000年にかけて、米国を中心にインターネット関連企業の実需投資や株式投資の異様な高揚感を背景に、IT関連の株価が異常に上昇した後、短期間で急落した事象を指し、その後、世界的な不況をもたらしました。
目次:コンテンツ構成
米国のITバブル
米国のITバブルは、1990年代の末期、インターネットの普及を背景に、消費者との直接の双方向通信を大量に処理できるe-コマースの可能性が現実化し、多くの会社がインターネット関連投資に走り、これらのサービスを提供するIT関連企業に注目が集まったことで「根拠なき熱狂(バブル)」が発生しました。
<象徴的な事例>
◎ナスダック総合指数は、1996年には1000前後で推移していたが、1998年9月には1500を、1999年1月には2000を突破し、2000年3月10日には絶頂の5048.62(終値の最高値)をつけた。
◎マイクロソフトの株式時価総額は、1999年のバブルピーク時に6000億ドルを突破した。ちなみに、その20年後の2019年に1兆ドルを突破。
※米国のITバブルは、「インターネット・バブル(Internet Bubble)」や「ドットコム・バブル(dot-com bubble)」とも呼ばれた。
米国のITバブル崩壊
当時、米国の経済学者は、ITバブルを「ニューエコノミー(New economy)」ともてはやしましたが、その後、FRBの利上げを契機に株価は急速に下落し、バブルは崩壊しました。
その崩壊の過程で、一部の堅実な企業を除き、多くのIT関連ベンチャーは倒産に追い込まれました。また、バブル崩壊後のPCや通信設備の世界的な生産減少によって、半導体の過剰設備や過剰在庫が生じ、不況に拍車をかけました。
<象徴的な事例>
◎ナスダック総合指数は、2000年3月に5132.52ポイント(取引時間中の最高値)を付けたが、2001年9月には1300ポイント台にまで下落し、1年半で70%以上暴落した(同時多発テロ事件の影響もあり)。
◎2002年の米国のIT関連失業者数は、56万人に達した。
日本のITバブル崩壊
当時、日本においても、ネットベンチャーが異様にもてはやされるなどITバブルがありましたが、一方で日本経済が長引く不景気で低迷しており、またIT関連投資が部分的であったため、米国を中心としたITバブル崩壊の影響はそれ程大きくありませんでした。
なお、日本の景気面では、2000年12月から2002年1月までのITバブル崩壊による景気後退期を「IT不況」や「第3次平成不況」、「デフレ不況」などと呼んでいます。