日本バブル崩壊
読み方: | にほんばぶるほうかい |
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分類: | バブル崩壊 |
日本バブル崩壊は、1990年代初頭に日本で起こった、異常なバブル景気(バブル経済)が破綻し、景気が急速に後退(悪化)した一連の出来事をいいます。
1980年代後半から、信用膨張を伴った投機によって、日本の土地や株式などの資産価格がファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)から見て、適正水準を大幅に上回った状態(経済が実体以上に泡のように膨張した状態)が短期間で崩れ去ったもので、日本経済に大きな傷跡を残しました。
目次:コンテンツ構成
日本のバブル景気について
日本のバブル景気は、景気動向指数(CI)上は、1986年12月から1991年2月までの51カ月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、それに付随して起こった社会現象とされるものを指します。また、多くの人がバブルと実感した時期は、1988年頃から1991年2月頃までだそうです。
バブル景気の背景
バブル景気の背景として、プラザ合意後、円高不況に苦しむ日本経済に対して、政府が内需主導型の経済成長を促すため、公共投資拡大などの積極財政に取り組むと共に、日本銀行が公定歩合を引き下げて長期的に金融緩和を続けた結果、長期の景気拡大をもたらした一方で、土地や株式などへの投機を助長し、バブルを発生させたと言われています。
バブル景気の象徴的な事例
・1980年代後半、東京都の山手線内側の土地価格で米国全土が買えるという算出結果となるほど、日本の土地価格は異常に高騰していた。
・日経平均株価は、1989年12月29日の大納会に、史上最高値38,957円44銭を付けた。
日本のバブル崩壊について
日本のバブル崩壊の時期は、景気統計で「第1次平成不況(複合不況)」と呼ばれる時期と概ね重なり、内閣府の景気基準日付では、1991年3月から1993年10月までが景気後退期となっています。
昭和から平成に代わって、すぐのバブル崩壊により、1973年12月から続いた日本の安定成長期が終わり、以降、2020年代まで続く「失われた30年」と呼ばれる低成長期に突入しました。また、この出来事は、国際社会での日本の認識や日本人の価値観などにも大きな影響を及ぼしました。
バブル崩壊の要因
日本のバブル景気は、1990年3月に大蔵省(現・財務省)から通達された「土地関連融資の抑制について(総量規制)」に加えて、日本銀行による金融引き締めが急激なものだったことから、信用収縮が一気に進んで崩壊したと言われています。
バブル崩壊の状況
当時の日本の経済状況は、単なる景気後退という現象に留まらず、急激な信用収縮、土地や株式などの資産価格の暴落、財テク企業のバランスシート悪化、ゼネコンや住専などの破綻、金融機関の不良債権問題、金融不祥事の発覚、企業業績の大幅悪化、学生の就職難(就職氷河期)、日本国債の格下げなどをもたらしました。
そして、1990年代後半には、バブルのツケが限界に達し、山一證券や北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、協栄生命、千代田生命など大手金融機関の倒産が相次いだ「金融危機」をもたらしました。
バブル崩壊の象徴的な事例
・バブル崩壊により日本の失われた資産は、土地や株式だけで約1400兆円と推定される。
・1992年8月、東証上場の株式時価総額は、1989年末の611兆円から269兆円と半分以下となった。
・内閣府の国民経済計算によると、日本の土地資産は、バブル末期の1990年末の約2456兆円をピークに、2006年末には約1228兆円となり、およそ16年間で約1228兆円の資産価値が失われたと推定される。
・日本のバブル崩壊で発生した不良債権は、約200兆円と言われる。