アルゼンチン危機

読み方: あるぜんちんきき
英語名: Argentina's Crisis
分類: 国際情勢|金融危機

アルゼンチン危機は、2001年から2002年にかけて、アルゼンチン共和国で発生した通貨危機と債務危機のことをいいます。これは、2000年後半から同国政府債務に対するデフォルト懸念が急激に高まり始め、また大統領の度重なる交代劇などの政治混乱もあり、ついに2001年末から2002年初めにかけて「政府対外債務支払いの停止(デフォルト宣言)」や「カレンシーボード制の崩壊(米ドルペッグ制の放棄)」と事態が急激に進展し、同国経済が大きく揺らいだ出来事を指します。

1990年代のアルゼンチンは、1991年にカレンシーボード制を導入したことにより、長い間懸案だったインフレ退治に成功すると共に、海外からの多額の資本流入によって高い経済成長率を享受しました(メキシコ通貨危機の直後の1995年は例外)。しかしながら、1997年~1998年のアジア通貨危機、1999年のブラジル通貨危機(米ドルに対するソフトペッグ制を放棄し、ブラジルレアルが変動相場制に移行)を契機に、アルゼンチンへの資本流入が先細ると共に、同国の対外債務に対する信任が大きく低下することになりました。

具体的には、米ドルの上昇などによる貿易赤字が拡大し、景気悪化と財政赤字、そして巨額の対外債務膨張に直面することになりました。さらに、2000年秋からは国債金利上昇など金融市場が不安定さを増し、IMF(国際通貨基金)が支援に乗り出しましたが、2001年末に対外債務の支払い停止(デフォルト)を宣言することになりました。また、2002年2月には、変動相場制に移行し、ペソ相場は大幅に下落することになりました。

その後、アルゼンチンは、世界的な鉱物資源などの価格上昇を追い風に貿易収支が改善し、2005年の民間債務再編を機にデフォルト状態を解消することになりました。

なお、債務再編を機に国際金融市場への復帰を目指していた同国でしたが、2014年7月にホールドアウト債権者(債務再編に応じなかった米投資ファンドなど一部債権者)との交渉が合意できなかったことから、債務再編に応じた債権者に対する利払いを判決上することができず、7月31日に「テクニカル・デフォルト(支払余力があるにも関わらず債務返済不能)」に陥りました。

<アルゼンチン危機の特徴>

・カレンシーボード制の崩壊とそれに伴う混乱が非常に大きかった
・債権者が個人投資家を含めて海外に拡散していたため、債務危機への対応や解決がより複雑なものになった
・アルゼンチンがIMFや債権者との対立姿勢を強く打ち出したため、国際金融界から孤立することになった