プリンストン債事件

読み方: ぷりんすとんさいじけん
分類: 金融事件

プリンストン債事件は、1999年に発覚した、日本企業に莫大な損失を発生させた巨額金融詐欺事件をいいます。

1990年代に日本で「天才相場師」として一躍マスコミで話題になったマーティン・アームストロング氏が首謀したもので、バブル崩壊で財テクの損失等に悩んでいた日本企業がターゲットになりました。

ここでは、前代未聞の金融詐欺事件であった「プリンストン債事件」について、簡単にまとめてみました。

目次:コンテンツ構成

プリンストン債事件の概要は?

プリンストン債事件は、米国人のマーティン・アームストロング氏が首謀し、日興証券の米国法人社長を務めた日本人が会長兼東京支店長であったクレスベール・インターナショナル・リミテッド東京支店(クレスベール証券)を舞台に起りました。

1990年代に「プリンストン債」という正体不明の金融商品を70社超の日本企業(事業会社と金融機関)に約1200億円分を販売した後、金融監督庁(現:金融庁)の調査により大半の資金が流用されて無くなっていたことが発覚したもので、購入企業に多大な損害を及ぼすと共に、日米両国で詐欺や商法違反、税法違反などで関係者が逮捕されました。

一般にプリンストン債事件では、資金の大半が首謀者等の運用失敗や豪遊、リベートなど他の目的に流用されており、また債券の元利支払いは別の顧客から集めた資金を流用する自転車操業方式の「ポンジースキーム(Ponzi scheme)」であったことが判明しています。

なお、本事件で多大な損害を被った日本企業の内の16社は、米国で損害賠償の訴訟を起こし、プリンストン債の資金管理を行っていたリパブリック・ニューヨークを買収したHSBCの米国法人と2007年に和解が成立し、和解金を受けとりました。

マーティン・アームストロング氏とは?

マーティン・アームストロング(Martin Arthur Armstrong)は、ニュージャージー州出身で、大学を卒業していない独学のエコノミスト(相場予測家)でした。1970年代に1683~1907年の金融恐慌が平均3141日間隔で発生していることを発見した際に「コンフィデンスサイクルの理論(Economic Confidence Model)」を構築したとしています。

日本では、1990年代初頭にNYダウの1万ドル越えや日経平均の1万円割れを予測したことで「天才相場師」としてマスコミで一躍話題になりました(好意的に報道され、講演会も開催された)。なお、本事件では、米国で訴追されて11年間服役し、出所後は悔悟の念もなく、再度エコノミスト(Armstrong Economics)として活動したとのことです。

プリンストン債はどういう商品だったのか?

プリンストン債とは、クレスベール証券の親会社であった「プリンストン・グローバル・マネジメント社(米ニュージャージー州)」が1991年頃から発行し、クレスベール証券東京支店で販売していた私募形式の米ドル建て債券(償還期限は10年)で、以下の二種類がありました。

(1)プリンストングループの親会社が元本保証し、年利2~4%程度の債券
(2)元本保証はないが、年利30~40%程度の債券

なぜ日本企業は金融詐欺に騙されたのか?

1990年代に多くの企業が財テクの失敗により、多額の損失計上を行わざるを得ない状況にあった中、時価会計の導入が目先に控えており、損失隠し(飛ばし)のスキームとして、プリンストン債に飛びついた企業もありました。

また、超低金利の中で、少しでも有利な資産運用を求めてプリンストン債を購入した企業もありましたが、リスク管理はほとんど注意を払っていませんでした。

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