資金運用部ショック
読み方: | しきんうんようぶしょっく |
---|---|
分類: | 債券暴落 |
資金運用部ショックは、単に「運用部ショック」とも呼ばれ、1998年11月から1999年2月に大蔵省(現・財務省)の資金運用部の対応等によって起こった、日本の債券相場の暴落(金利の暴騰)をいいます。
1998年11月末から予兆があり、1998年12月に財投改革(財政投融資制度の改革)に伴い、大蔵省の資金運用部が国債買い入れの停止を発表し、さらに要人(大蔵大臣・日銀総裁等)の不注意な発言なども重なり、短期間で金利が急上昇しました。
目次:コンテンツ構成
資金運用部ショックの金利急騰
1998年11月に0.80%台で保合っていた長期金利は、11月下旬より忽然と上昇し始め、翌年の1999年2月初旬には2.40%台まで急騰しました。
その根本には、国債買い切りオペという「質への逃避」による需給相場の象徴に対して、突然の政策変更(異変)が起こった結果、国債相場において、急速に需給悪化懸念が広がったことがあります。
資金運用部ショックの状況と経緯
資金運用部ショックは、1998年9月から1999年2月にかけて、以下のような状況と経緯で発生しました。
●1998年9月に、日銀が景気後退と金融不安への対応から、無担保コールレートの誘導目標値を0.25%とする利下げを約3年ぶりに行ったことで、長期金利は大きく低下した(日本の10年債利回りは10月2日に、過去最低の0.73%を記録)。一方で、当時の小渕内閣は、同年11月に総額24兆円の緊急経済対策を策定し、財政拡大路線を走っていた。
●1999年11月20日に、大蔵省が同年度の第3次補正予算で、増発する国債12.5兆円のうち10兆円以上を市中発行する方針を発表したことをきっかけに需給悪化懸念と高値警戒感が強まり、需給相場は自壊過程へと突入した(同年11月に東証の債券先物システムが変更され、金利急騰中にシステムダウンも何度かあった)。
●1999年12月22日に、大蔵省の資金運用部が財政投融資計画の余資運用の一環で実施していた国債買い切りオペについて、購入資金を景気対策の方に回すためとして打ち切りを表明した。これにより、需給の先行きに対する不安感がさらに助長され、国債の需給懸念と高値警戒感が「売りが売りを呼ぶ展開」に拍車をかけた結果、翌年の2月まで金利が急騰することになった。