タテホ・ショック
読み方: | たてほしょっく |
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分類: | 債券暴落 |
タテホ・ショックは、1987年9月にタテホ化学工業の国債先物取引の失敗による巨額損失の発覚に伴い発生した、日本の債券相場の暴落(金利の暴騰)などをいいます。
1980年代以降で、「資金運用部ショック(1998年)」や「VaRショック(2003年)」などと共に、日本の債券市場を揺るがした出来事の一つとして広く知られています。
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タテホ・ショックの発生
バブル景気の頃、鉄鋼向け炉材用の電融マグネシアのトップメーカーであったタテホ化学工業は、財テク企業としても有名でした。
1987年6月以降の債券相場の下落で、同社は債券先物取引(国債先物取引)に失敗し、その年の9月に286億円に上る巨額損失を出したことが明るみに出て、国内外の株式相場や債券相場が一斉に急落しました。この出来事が「タテホ・ショック」と呼ばれるもので、同社は一気に債務超過に陥りました。
特に債券市場は、財テク自粛ムードの拡大により、企業の投資資金が国債市場から引き揚げるとの不安心理が高まってパニックに陥り、次々に投げ売りが始まった結果、国債価格は暴落し、その年の5月に2%台だった金利が10月には6%台と4%も暴騰(上昇)しました。
タテホ・ショックの波紋
タテホ・ショックでは、債券市場だけでなく、株式市場においても、かなりのインパクトを与える事件となりました。
当時、タテホ化学工業に融資をしていた阪神相互銀行が、巨額損失発生が公表される前日にタテホの保有株の大半を売却してしまった件は、多くの金融・司法関係者の間に波紋を広げることとなり、社会的に「インサイダー取引」が認知される最初のケースとなりました。
なお、本件の調査は行われましたが、確証までは得られず、道義的責任以上は、法的には何の処分も行われないまま幕引きとなったそうです。