メキシコ通貨危機(テキーラ危機)

読み方: めきしこつうかきき
英語: Mexican Peso Crisis
分類: 金融危機

メキシコ通貨危機は、「テキーラ危機」とも呼ばれ、1994年末から1995年初頭にかけて発生した、メキシコ合衆国の通貨(メキシコペソ)の暴落をいいます。

経済学的に見て、短期資本流入に依存したエマージング・マーケットの脆弱さを露呈する典型的なケースで、また通貨危機の発生直前の資本流入は、直接投資が順調に増加してきた一方で、証券投資が急激に増大したことを特徴としています。

ここでは、1990年代半ばに起こった「メキシコ通貨危機」について、簡単にまとめてみました。

目次:コンテンツ構成

メキシコ通貨危機の背景

メキシコは、1988年~1994年のサリナス政権下で積極的に経済安定化と市場自由化を実施し、ネオリベラリズムに基づく経済改革の優等生とみなされ、先進国から大きな注目を集めました。これにより、輸出が急成長すると共に、海外から多額の資本が流入し、高い経済成長を実現していました。

その半面、次第に経常収支の赤字が高まるなど経済に矛盾が生じ、また固定相場制の持続可能性に対する市場の懸念も広まっていきました。

メキシコ通貨危機の前兆

1994年に入り、年初からチアパス州での武装蜂起、3月の大統領候補コロシオ氏の暗殺などの政治不安が続き、第2四半期から急激に資本流入が低下しました。

また、セテス(短期ペソ建て国債)からテソボノス(ドル連動の短期国債)への急激なシフトが生じ、その間、通貨の過大評価と貿易収支赤字の増大に対して、為替レートの切下げなどの対策は実施されず、資金流入を促すために国債金利が引き上げられたに過ぎませんでした。

メキシコ通貨危機の発生

このような状況下で、1994年11月に米国の公定歩合が0.75%引き上げられたことを契機に、カントリーリスクが高まりつつあるメキシコより、安全で利回りの高くなった米国の債券へと資金が環流し始め、メキシコの外貨準備が激減する事態となりました。

この事態に対して、メキシコ政府は、12月20日に15%の為替レートの切下げを発表しましたが、メキシコペソの切下げ圧力は止まることを知らず、12月22日には完全変動相場制に移行することになりました。そして、変動相場制のもと、市場の切下げ圧力によって、約1カ月後には、65%のペソの急落となりました。

一方で、外貨準備は、1993年12月末の263億ドルから、1994年12月末には64億ドル、1995年1月末には35億ドルにまで低下する異常事態となり、特にメキシコ国債(テソボノス等)の償還問題(債務不履行)が国際金融市場で危惧されました。

最終的には、米国、国際機関、日米欧の民間銀行から総計で500億ドルを超える緊急支援がなされ、一連の危機は収束していきました。

メキシコ通貨危機のその後

メキシコが国際的な金融支援を受けたことで、通貨危機後のメキシコ経済は、極めて厳しい財政・金融政策を強いられることになりました。

具体的には、1995年の実質経済成長率はマイナス6.2%で、またペソ暴落によるインフレ率は、1994年の7.1%から1995年の52%にまで上昇しました。さらにメキシコの危機を契機として、アルゼンチンなどの中南米諸国への資本流入も急減し、その影響は「テキーラ効果」と呼ばれました。

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