キプロス危機

読み方: きぷろすきき
英語: Cyprus crisis
分類: 金融危機

キプロス危機は、「キプロスショック」とも呼ばれ、2013年にユーロ圏のキプロス共和国で発生した金融危機をいいます。

ギリシャ危機により、キプロスの銀行の融資や債券投資に大きな損失(不良債権)が発生し、経営が立ち行かなくなったことに起因するもので、EUIMFに救済を求めるまでに発生した一連の危機を指します。

ここでは、新しい救済手法であるベイルインが取られて注目された「キプロス危機」について、簡単にまとめてみました。

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キプロス危機の要因

当時(2013年)、キプロスは、国内総生産(GDP)がユーロ圏全体の0.2%の小国でしたが、同国の銀行資産はGDPの約8倍、預金残高は約4倍に達しており、金融機関があまりに巨大になりすぎていました。

その要因として、かつて観光以外に主要産業がなかった同国が、高金利と低税率を武器とした金融立国(オフショア金融センター)を目指したことがあり、それがうまく成功し、ロシアなど海外から「タックスヘイブン(租税回避地)」として多くの資金が集まりました。

※キプロス:地中海東部に位置し、四国の約半分の広さの島国。

キプロス危機の発生

歴史的にキプロスは、住民の大半がギリシャ系(公用語もギリシャ語)で、ギリシャとの結びつきが強い中、ギリシャ危機により同国も必然的に危機に陥ることになりました。

実際、2012年6月にEUに支援を要請したものの、しばらく棚ざらし状態が続き、2013年3月に資金ショートが迫って救済を求めた際には、EUとIMFが100億ユーロの資金を貸す代わりに、キプロスの預金者にも58億ユーロを負担させるという「厳しい策(異例の預金者負担)」を求めたことで、一時大混乱に陥りました。

その背景として、キプロスの銀行資産の約3分の1がタックスヘイブンを利用したロシアマネーで、またマネーロンダリング(資金洗浄)の疑惑もあったことから、救済する側のドイツやフィンランドなどが厳しい支援策を主張したことが挙げられます。

また、預金者に負担を負わすという前代未聞の手法(預金カット)は、他の金融危機を抱えるユーロ諸国等にも、それが前例になるのではないかという不安を与えることになりました。

キプロス危機の推移

キプロスは、危機発生後、国を揺るがす金融破綻は回避されましたが、一方で同国の金融立国としての経済モデルは終焉することになりました。

◎2013年3月16日に合意した当初案は、キプロスに最大100億ユーロの支援を行う代わりに、全ての銀行預金に課税を行う(税収58億ユーロを見込む)という過激なもので、金融市場にとってはネガティブサプライズとなった(キプロス議会で否決され、大混乱に)。

◎2013年3月26日に合意した修正案は、大手2銀行(キプロス銀行とライキ銀行)を整理・再編し、10万ユーロ超の大口預金者に破綻処理費用の負担を強いるという厳しい内容で、金融市場にとってもネガティブな内容だった。

◎2013年3月28日に銀行が約2週間ぶりに営業を再開し、預金引出制限や海外送金制限など、ユーロ圏で初の資本規制が行われた。

◎2015年4月6日に政府が2013年に導入した一連の資本規制を全て解除し、銀行システムは正常化された。

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